TEO TORIATTE チェリまほTHE MOVIEを観て揺れた春

か弱き者ほど強く、完璧なものほど弱く
神様どうか、いたいけな二人を傷つけないで

 

これがチェリまほTHE MOVIE初見の際に思ったこと。
安達も黒沢も、なんていたいけなんだ、なんて可愛いんだ!って、まず思ったのだ。
これは私が年をとった(2人の両親役の方々よりは若いけど)せいかもしれない。
もしかしたら、あの2人のビジュアルじゃなかったら思わなかったかもしれない。
でも、まずはそう思ってしまったのだから仕方ない。

 

初見のときは、随分といろんな要素を特に後半に畳みかけてくるなあと思った。
前半のウキウキ期(ドラマの8~9話あたりに近いというかオマージュなのかな。妄想シーンも含めて)からの怒涛のシリアス展開に、目を白黒って感じだった。
安達の栄転をめぐって事件も、ドラマと同様、また相手を思うがゆえの「賢者の贈り物」的なすれ違いだったし。
(でも、さすがに会う時間がないならせめて一度くらい電話して話せ!LINEで終わらせちゃダメ!って思ってしまいましたけどね。
相手に本音をこぼすことも時に必要なんだよ、それが自分の我が儘になってしまっていないか不安なのはわかるけど)

 

2人の恋はスイートだけどデリケート、ちょっとした刺激すら命取りになってしまう。
でも終わらせたくなんてない、木っ端みじんにしたくない。
前(ドラマ11話)みたいに辛い思いするのもさせるのも絶対に嫌だ。
魔法の力に頼りたくなったりもしたけど、今度は黒沢も魔法の存在を知っているから
使えばさらに彼を傷つけてしまうことにもなる。
一体どうしたらいいのか。
自問して時に深く傷つきながらも前に進む安達が眩しいぐらい、たくましかった。
自分には取り柄なんてないと萎縮している人でも、何かひとつのきっかけや出会いで
一気に殻を破って内在している光を照射できるのかもと思った。

 

一方の黒沢さんはもうヒロイン、王子というより自ら囚われにいっている姫君なんじゃ?とすら思った。
安達に一切の負担をおわせたくないあまり、ドラマ同様の自己完結自爆展開をしてしまって。
でもそんな黒沢さんがとても愛らしく見えて。
ダメな黒沢じゃダメですか?(ダメじゃないです)

 

彼は決してスパダリなんかじゃない。
むしろ登場人物の誰よりも弱くて、いろいろ拗らせてしまった男にすら映った。
もちろん優しくてフェアな性格なのだけど、たとえば、あんなに、いちいちいちいち
「ありがとう」を多用していて。
一度でも言い忘れたら安達に嫌われないか不安なの?

安達ってそんな狭量な子じゃないよ?
そう言ってあげたくなるくらいだった。
(本人はまったく無意識なんでしょうけどね)

 

だから2人で支えあおう、弱ってる君も好きだと言ってくれる人に恋して報われて
本当に本当によかったね黒沢さん、としか言いようがなかった。
実はとっても強い人・安達清じゃなかったら
弱いあなたを支えることができなかったかも。

 

映画の中の世界とはいえ、弱い人が壊れてしまう前に救われて私も救われた。
ドラマでは必ず安達より早く起きていて
豪華がすぎる朝食の支度をしていた黒沢さんが
実は朝に弱くて、寝ぼけた顔を晒してもたれかかる。
そんな彼を微笑ましく思いながらも、照れくさそうにあしらう安達。
このシーンは、ああ彼はようやく肩の力を抜けるようになりつつあるんだ
ってほっとしてしまった。


初見のときは小津安二郎映画ですか?って思ったぐらいアップやバストアップを多用
しているように思えたんだけど(気のせい?)そのためなのか、
台詞以上にふたりの表情から思いがあふれているような気がした。
テレビと違って大画面なもんだから、胸にビシビシとガンガンとダイレクトに
思いが伝わってしまうのだ。
どちらかに感情移入というよりも、彼らと共に同じ道を歩いているかのように。
彼らが悲しめば自分も悲しくなるし、彼らが喜べば自分も喜んで

微笑むことを抑えられない。
映画もドラマもテーマの一つは「思いは言葉で伝えるもの・伝えることができるもの」だけど表情をもって言葉(セリフ)をダメ押ししたい、だから
この2人の俳優が選ばれたんだろうか?なんて憶測をしてみたりして。

 

それぐらい、役者の表情(とその抽出技術?)は、神がかっていたと

いっていいと思う。
何なら彼らの表情ありきでストーリーを作ってませんか?なんていいたくなるぐらい。
安達の夢に出てきた凍ったような笑顔の黒沢さんと
朝の身支度をしながら溜め息をつく鏡に映った黒沢さんは忘れられない。
あんな表情を引き出せるなんて。
寂しかったり悲しみを無理に隠そうとしているときの表情が
胸に突き刺さるんだよなあ。

 

安達のほうは決意をして覚醒し、まっすぐに思いを伝えるときの表情が

キラキラしていて。
黒沢母(今はいいけど先が心配って言ったけど、これって仮に男女カップルだったとして皆先のことはわからないし不安あるやん?ってちょっと思ってしまったんだよねえ。男性カップルだから未来が心配という意味だったら、もうちょっとわかりやすく言ってくれてよかったかも)に訥々と思いを伝えるシーンも、静かに熱くてよかった。
月と太陽のようなコンビネーション、これってめったにないだろうと思う。
改めて唯一無二のキャスティングだ。

 

少しだけの出番だったけどベテラン俳優陣もよかった。
ちゃんとチェリまほの世界を壊さない人を選んでくれた(郁恵ちゃん見直したよ)
それだけでも、きれいな男がイチャコラしてる絵を見せたら喜ぶんだろって
安易な気持ちで制作してるわけじゃないってわかる
(いやドラマの時点でとっくに理解してますけどね、初見さんでも理解可能って意味でね)。
スキンシップの表現はドラマと変わらず触れあう手がメインなのだけど、
リアルさがありながら抑制がきいていて常に品がいい。
細長い指でとてもきれいな手なんだけど、骨ばっていたり太い血管部分も見えて、
ちゃんとこれは男性と男性が結んだ手なんだと主張していて。


映画は、「しんどいときは、信頼してる相手にくらい、しんどいと言ってもいいんじゃない?」とか
「優しい世界を実現するには、ここまで強さや覚悟が必要なんだろうか?」
なんて見る者に語りかけていたような気がしている。

 

両親との対面や結末に対しては「そんなうまくいくか?」って言われることもあるかもしれない。
理想論だと笑われるかもしれない。
でも理想論で何が悪い?理想を描くことから全ては始まるでしょ?って
語りかけているかのようだった。
結婚式シーンの温かな祝祭感と、王子様と魔法使いの物語を読み終えて
きりりと手をつないで歩いてゆく安達と黒沢の姿は
この作品になくちゃならないものなのだ、両方とも。
どちらかだけだったら、心に刺さらなかったと断言したい。

 

安達は「俺たちのことが知られても不本意に異動させられたりしないように

仕事をがんばる」「自分たちの大切な人に時間がかかっても自分は幸せだと理解してもらいたい」と言っていたけれど(文字にしてみたら、なんて悲痛な決意なんだろう)
魔法つかいというファンタジーな存在から、シビアな現実社会を生きぬこうとする
30歳男性になったのだなあとしみじみしてしまう。
架空のキャラクターなのに、まるで長年の友人のように
「まだまだ大変だろうけど幸せになってほしい。いやなれるよ、あなたなら」

と応援したくなる。

 

これはチェリまほというドラマの大きな魅力でもある。

フィクションなのに、どこかこの世と地続きな感じがしている。
そしてよく「優しい世界の物語」だといわれるけど(確かに露骨な悪役はあまり出てこない。それでもドラマ7話のセクハラ社長とセクハラを理解できない上司には怖気だつほどの嫌悪感を覚えたけど。回想シーンでの若き黒沢さんの悲痛さよ…あの表情を観るのはつらかった)
けっして優しいだけの世界じゃない。

 

性的マイノリティといわれてしまう存在の彼らが
いわゆるマジョリティに傷つけられることもなければ
マイノリティを殊更にアピールする必要もないような世界に
生きられるようになることを心から祈る。
性的マイノリティではないけど、ふと気づけばマイノリティ寄りの立場
(独身非正規労働者で天涯孤独の身)にいる自分も、
メジャーだマイナーだ気にせずに生きていけたらと願うから余計にかも。

 

ラストシーンといえば、映画「卒業」の最後、結婚式場から花嫁を連れ去って、
バスに乗り込んだダスティン・ホフマンキャサリン・ロスが真顔で
シートに座っているシーンのオマージュかな?などと思ったけど
「卒業」では情熱のままに駆け落ちしているから、痛快だけどもこの先にある
不安(それとも、やっちまった感?)を表していて、
チェリまほは、周囲の人に認められていたから、神様の前で誓いを立てて
この先、何があっても2人で生きていくという

より強い意志と覚悟を表す表情だったのかな。
(と、ここで結婚式は、絵本を見ていた安達の想像世界の出来事だという説が出ていることを知る。だとしたら夢の実現に向けて歩いていこうという決意の表情だったのか?)


いわゆるBLラブコメディを期待して見に来た人はどう思っただろう?とか
硬軟入り混じる各エピソードを、もっとゆっくり連続ドラマで見たかったかもとか
実家に挨拶にいくときの衣装がちょっと不思議じゃないかとか
(黒沢さんはベーシックなスーツ姿が一番素敵だと思うし
安達の両親に会うなら、どフォーマルな格好しそうなんよねえ)
ドラマでは凝っていたタイトルロールやエンドロールが簡素じゃね?
なんてことも思ったりしたけど
2週間しかない撮影期間で2か月もないぐらいの編集作業で
(予算もなかったんだろうなあ。長崎ロケは見たかったなあ)
ここまでまとめた風間監督には拍手を送りたいと思う。
ドラマや原作(読んでないけど)ファンへの感謝も強く感じられたし。

 

終わって思わず拍手をしたくなったけど、誰もやっていなくて残念。
でも隣の席の人が涙ぐんでたり、席を立ちながらよかったねえと語りあう声も

聞こえたから、冷ややかだったり、ぼんやり見ているわけではないんだよなあ。
愛情の表現は人それぞれだって安達も言ってたし、ね。

 

3回目(舞台挨拶中継回だった)を見終わってスクリーンを出るとき、
若い男子2人組が座っていたのを目にした。
映画マニアなのかもしれないし、風間監督の作品が好きとか、
藤崎さん役の佐藤玲さんのファンかもしれないけど、
もしも、もしも、2人が恋人同士だったとしたら。
この映画、率直にどう思いましたか?って聞きたくなった。
よかった、とか違和感なかった、とか希望になったって言ってくれたら。
そしてその声が制作陣にも届いたらいいのだけども。


この映画は、大きなスクリーンで超ド級の美貌と柔らかい声を浴びるというのも
最&高だけど、円盤化して、自宅でじっとり見てみたら、
気づかなかった細かい部分により目がいくようになって
また違う楽しみ方ができるかもしれない。
それから、このシーンはアドリブ?それとも監督の指示?
なんて気になったところもあったから
できれば種明かししてほしい、キャストによるオーディオ・コメンタリーとかで
(欲が深すぎますか?)。


まだまだゆっくりじっくり。
この作品と付き合っていきたいと思う、安達と黒沢が手を取り合って歩いていく限り。

 

おまけ 1
3月に終わった「あせとせっけん」というドラマは、とんでもなく肌色多数なのに
いやらしくなくてクレイジーなベッドシーンが楽しくて斬新だったんだけど、
人並み以上の嗅覚をもつ主人公の名取さんが、
風邪で鼻がつまり、匂いがわからなくなって(匂いで他人の精神状態も理解していたが、それもわからなくなる)
会社がお化け屋敷のように見えておびえたり、人間不信に陥ってたが、
同僚に「普通の人はみんなそうなんだよ。匂いに頼りすぎるな」と言われ、自らを省みるエピソードがあった。
これはドラマで安達が柘植にいわれていた「魔法に頼りすぎるな、だ」と同義かも。
ヒロインが理解者(=名取)を得て、コンプレックスや過去のトラウマから解放されていく姿も黒沢さんとちょっと被る。
最初は引っ込み思案で、安達同様、私なんてってすぐに言うキャラだったので、正しくは安達+黒沢だけど。
なんでもない日常生活に幸せを感じ、楽しむ姿もチェリまほの2人と重なった。

 

おまけ 2
以前は「チェリまほ大好きだけど、赤楚くんとまっちーはニコイチじゃねーぞ。
常にチェリまほと比べられたり、安易なセット販売は可哀想(聞いてるか××テレビ)。
2人ともいろんな役をやってほしい。この作品だけに引きずられないように」と思ってたけど、

役者人生において、これだけの当たり役を演じて、好相性の座組に出会って
ちゃんとした作品を送りだせることって、そうそうないのかもしれないし、
そうなると演じ手にも鑑賞者にとっても絶対大切な作品になるわけだから、
特別扱いされても仕方ないのかも、という気持ちも生まれてきた。
シルバニアファミリーのコーヒーカップ並みに私の器が小さかったかもしれません、

ごめんなさい。
勝手な心配や懸念なんてひっくり返すぐらいの威力があったってことなんです、チェリまほTHEMOVIEには。

そして彼らなら、チェリまほ後も代表作をどんどん更新していけると思っている。

これからも良い作品に恵まれますように。