いちげきのいちげきに寄せて 2023年1月3日

どうしてこんなにブッ刺さったのだろう、90分足らずの単発ドラマが。


クドカンのドラマ(舞台も)も町田啓太さんことまっちーも前から好き。

推しのドラマに推しが出るなんて、たとえ推しが出なくても見たくなるドラマに出てくれるなんて最高じゃんか!と第一報の時からワクワクテカテカしてた。

最長でも5分バージョンしかない予告編だって公式Twitterが流してくれたメイキングだって食い入るように見た。
そして放送が終わった今、いやあ面白いドラマだったーまっちーかっこよかったわーだけではなく、胸にちりっとした痛みが残ってしまっている。

放送が終わって1か月以上たっているのにだ。

 

大政奉還後、軍艦奉行勝海舟は江戸を荒らして幕府を挑発する薩摩藩のゲリラ組織「御用盗」を内々で制圧するために、ひそかに農民を集めた隠密部隊をつくる。

勝に命じられ、選抜試験と刀を扱ったことのない彼らの指導をするのは新選組の残党・島田と和田だ。

ここで登場する御用盗も農民ゲリラの「一撃必殺隊」も新選組残党も、みんな「非正規」部隊。指令を出す川の上流にいるのは勝と薩摩藩の上の者だけで、あとの連中はさもしい侍、それよりさらに下流に暮らす農民と、辛酸をなめつくして来た連中ばかりだ。

農民たちの何が悲しいって、搾取されるだけの存在であることだ。

字も読めなければ白米も満足に食えず、侍から理不尽な扱いをされても文句を言うだけで手打ちにされてしまう。どんなに苦しい辛い思いをしてきても、こんな身分制度はいつか壊れないだろうかと夢見ることすら思いつかない。ただただ苦しいだけで人生を終わるといっても過言ではない。それが悪い奴を殺せば侍に取り立てられ、こんな生活とおさらばできるかも?なんて聞いたら、そりゃあ飛びついてしまうだろう。自分が返り討ちに遭うかもしれないなんて一切想像せずに。


まっちー演じる市蔵ことイチも、もともと力自慢だったのか何の疑問も持たず、一撃必殺隊に飛び込んできた。なんなら俺は端から侍だったんだよといわんばかりの態度だ(実際、農民のなかでは見栄えが良くて身体能力が高いキャラ設定だったと思われる。字は読めなかったけど)。
勝が早く一撃必殺隊を実戦に送り出せといって、島田がつくった育成マニュアルのうち防御術部分を黒塗りして省略してしまうシーンはゾっとした。

でもイチは「そうだよな、防御なんて一発で相手を殺せばいらねえべな」と極めて明るく受け止める。
そして初めて人を斬った日の夜は飲んではしゃいだあとに浮かない顔をしていたのに、すぐに今日は何人斬ったと自慢したり、団子を食べたりおにぎり食べながら御用盗だけでなく薩摩の連中も殺っちまおうぜと浮かれるようになる。

 

主人公のウシは、過去のトラウマから侍を深く憎んでいて、自分は利用されているだけなのではないかと初めから疑問を持っている。剣の筋は誰よりもいいけど、このまま人を殺し続けでいいのかという複雑な思いも持っている。

でもイチにはそんな逡巡はない。すぐに「イエーイ!サムラーイ!侍サイコー」状態になっていった。

イチたちが捕まえた浪人を切腹するように煽りたて、彼が本当に腹を切ったときには介錯するのをビビってたけども、ずっとイチは軽かった。

そんな軽さに泣けてきてしまうのだ(「存在の耐えられない軽さ」って題名の映画が昔ありましたね、ふと思い出した)。

 

やがて一撃必殺隊は御用盗の罠にはまって仲間やウシの妹を失い、島田は勝から突然解散を命じられ、なんなら秘密を守るために殺処分しても可であるといわれてしまう。

一方、御用盗の実行隊長・伊牟田も、いつのまにか薩摩藩の上役・相楽総三から暗殺対象にされる。

捨て石にされたことを理解した一撃必殺隊はどうしたらいいのか、もうわからない。

イチですら「侍になれるっつーから人殺してたんだろうが!」と叫ぶ。そして初めて隊員個人の意思と島田の思いが重なり、失った仲間や家族の敵討ちのため薩摩藩に向かっていく。
あえて昼間の往来が多い時間に相楽を襲う奇策をしかけたものの、そこで敵味方かかわらず何人もが命を落とす。

イチも、ウシを助けて呆気なく死ぬ(初見のときはびっくりして声を上げそうになった。油断してた…)。「おらあ死んでも侍だ」との言葉を残しながら。

 

このあっさり、無情にバタバタ人が死んでしまう乾いた情景は、いつかどこかで見たことがあると記憶を辿ってみた。そして気づいた、アメリカンニューシネマの世界だと。「真夜中のカーボーイ」に「俺たちに明日はない」に「独りぼっちの青春」。これらの主人公たちはみんなどん底の世界で出会って一瞬の春に浮かれて周りを挑発し、愚かにも仲間割れをして、最後には手ひどい形で社会から抹殺される。死に様はひとつも美しくなくて、ただただ悲惨に野垂れ死ぬ(蜂の巣にされたりもする)ばかりだ。
お約束のハッピーエンドとは真逆の、いわゆる鬱エンド。遥か昔、これらの映画を観たときは妙に興奮した。どれだけショックを受けたか、表現力がないから、ひどい、こわい、でもすごい!しか言えなかった。自分がいる世界と違うとんでもない世界(でも自分が向かう可能性がないとはいえない世界)を垣間見てしまった気がしたものだ。

 

侍の世は滅びて久しいけれども、心身が弱い者や知識がない者はいらない、勝手に死ね、なんてことを平気で言う人が今もデカい面してる。
でも、強いって一体なんだ?誰かの尊厳を踏みにじっても強い者が勝つというのなら警察はいらんわ、と小学生のようなことを言いたくなる。


なぜか「世界ふれあい街歩きウクライナ編再放送に出ていた街のピザ屋の親父さんや学生たちが、ウクライナ紛争に従軍して死んでいたという後日談を思い出した。

末端の人々だけが武器を取り、殺し合い、犬死にする構造は幕末も今も変わりない。
いちげきで描かれたのは、そんな今の世に通じるやるせなさだった。たとえば勝海舟は勝ち逃げできたが(何が無血開城だよ、おいコラ)下流にいるものは侍の身分であったとしても捨て石されるだけ。もう、どんよりしてしまう。


石は農民、刀は武士の象徴として扱われていたけど、刀だって銃を持ち出されたら、あっさりやられてしまう時代遅れの遺物になった。そのことに気づいていても刀を手放せない島田のような人もいれば、ウシのようにラストシーンではいらないもの(この場合は刀)を捨てて次の生き方を模索する人もいる。ほんの少し希望が残る終わり方だったけど。

 

けれでもイチはそんなことも考える間もなく死んでしまった。それがまた悲しいのだ。本人は侍で終われたと満足して死んだかもしれないけど、こんなに切ない気もちにさせられ、自分の立場(天涯孤独の非正規雇用者!ぜったい強者の側ではない)も痛感してしまったのは、まっちーの芝居とクドカンの脚本がよかったからだろうか。


伊藤沙莉ちゃんが演じたキクという女性キャラは原作には出てこないらしいけど、コメディリリーフしながら昨今のクドカンドラマに出て来るリアルな痛みをかかえた女性(「俺の家の話」では主人公の姉役の江口のりこさんが、能の家元に生まれながら女性ゆえに跡を継ぐこともなく常につまはじきされていたこと、浮気しまくる父親を心の底では許せなかったことなどをブチまけていた)の役割を担っていた。

クドカンは男社会や男同士の友情をドラマによく描いているけど、肯定だけではなく女性の目を通した男社会特有の馬鹿馬鹿しさも指摘してくれるので信用がおける人だ。
キクは口癖のように「私アンタじゃないからわからないけど」を前置きにして話をする。一見、相手のことを突き放しているようだけど、過去を背負いつつも(キクも兄を薩摩藩によって失っていて仇討ちのために一撃必殺隊に参加した)、身分や所属組織ではなく個の存在を認めていると言っているかのようで、ドラマの中で一番自由で独立した存在だったと思う。

 

まっちーの出番が少なくて残念などとのたまってる人もいたし、わたしも正直、最初に見たときはあんまり出てこないなあと思ったのだけど、見直してみたら、イチはこの物語に欠かすことのできないキャラクターだったのではないだろうか。

主人公と正反対の、いわば影に相当する(一見するとイチが陽キャでウシが陰キャだけども)すごく良い役だったんじゃないか。愚かで可愛いくて悲しいイチの役をまっちーにオファーしてくれてありがとうプロデューサーさんと言いたい。

以前、大河ドラマ土方歳三(も農民出身)を演じたものだから、イチにヤング土方歳三みを感じた人もいたようで、その効果を狙ったキャスティングだったのかもしれないけど、良かったよまっちーで。

 

正直、駆け足の展開でもったいない感じもしたし、ウシ以外のキャラもみんなチャーミングで悪役チームすらもみんな背後にドラマを感じられたから、ウシ並みにもっと背景を詳しく描いてほしかった気もする。

が、逆にいえば映画1本分と同じぐらいの尺だから重みが伝わったかもしれない。講談を挟んで気持ちいいほどのスピード感があって、間延びするよりはいいのかも…いや大河ドラマぐらいのロングスパンでやってくれても別にいいんだけどね。


正月時代劇というめでたげな名前のとおり殺陣やお笑い要素ももちろんあったのだけど、それ以上にシビアで深く胸に残ってしまった私だった。なぜ今年はこの題材を選んだのかな、制作陣も今のこの世に申したいことあったのだろうか。


円盤が出たら買いたいと思うしディレクターズカット版劇場公開!なんて期待もします。やっぱり好きだクドカン世界、ずっと好きだまっちーの芝居。


いちげきの一撃にすっかりやられた2023年の幕開きでした。