猫は死んでも可愛い ––モカさんを悼んで––

2023年1月26日、モカさんがこの世を去ってしまった。

14歳と8ヵ月弱の生命だった。

 

 

亡くなってから1週間が過ぎようとしているけど、彼女の存在感がどれほど大きかったか、どんなに私が依存していたか、そのくせ、ぞんざいに扱っていたかを思い知らされる毎日だ。


使っていたベッドやトイレ、フードボウル、キャリーケース、キャットフードや猫草栽培セット、みんなまだたっぷり残っているのに、彼女だけがうちにいない。


もう外から帰ってきたときに鳴きながら玄関まで出てきてくれるモカさんはいない。

眠り込んでいて、あとから出てきて明かりのついたキッチンに眩し気に入って来る姿も見られない。

洋服タンスやシュークローゼットを見ればてっぺんまで上って得意げにしいた姿を思い出し、ベッドやホットカーペットを見れば香箱座りやアンモナイトのように丸くなって寝ていた姿を思い出す。

トイレでもお風呂でも、私が入っていたら、大抵のぞきにやってきていたものだから、家のどこの何を見ても彼女を思い出す状態だ。



今はもう、朝起きたらトイレのチェックをしてシートを片付ける必要はなくなった。ノートPCを開きっぱなしで出かけても、キーボードに埃避けのシートをかけなくても、パンをテーブルに出しっぱなしで寝ても全く問題なくなってしまった。椅子の下に眠っているときは脚や尻尾を踏まないように、変な姿勢で座ってご飯を食べたりPCを見たりすることもなくなった。
出かけるときには水やフードを準備して並べたり、スーパーでシートを捨てるときのためのポリ袋をもらわなくてもよくなった。黒やネイビーの服はカバーをかけたり裏返して吊ることもなくなった。

窓を全開にすることもできる。百合だってシクラメンだってガラスの花瓶に飾ることができるし、アロマキャンドルだって焚ける。風呂場にカビキラーを撒こうと思えば撒ける。

2泊以上の外泊だってできるようになった。


だけど、そんなことができなくたって、彼女にはもっと生きててほしかった。


留守中にひとりで逝かせてしまったり、入院させてその間に急変することは避けられたのだけれども、きっと苦しかっただろうし、悔いばかりが残ってしまう。

もっと早く異変に気付いてお医者さんに連れていっていれば違っていただろう。体重が減っているのはわかっていたのに。

こんなに後悔したことってあっただろうか、これまで。


猫は身体が本当につらいときまで一切表に出さないという。

モカさんも結構気が強くて、抱っこされるのがあまり好きじゃなかったからギリギリまで普通にしていたのだろう。でも、それに甘えて見過ごしてたからダメなんたと今になって痛感する。そしてもう再びやり直すこともできないことに呆然とする。

嫌われたって、面倒くさくたって、シニアといわれる年をすぎたら検査に連れていっておけばよかったのだ。


食べ物を何も口にできなくなっても自力でトイレに最後まで行って立派だった。

息を引き取った後だって、身体は冷たくなっていったものの、ずっとやわらかく(痩せて骨ばっていたけれども)毛も幼いころと変わりなく、つやつやのふわふわで、今まで通りかわいらしくて綺麗な猫のままだった。

いっそ剝製にできないだろうかと思ってしまったほどだった。

でも目も口も開けたまま息絶えたから、閉じてあげようとしたけど、うまくできなかった。


寒い時期だったから48時間といわず、もう少し家にいられたんじゃないかとか、火葬車に頼むのではなく、専用の施設で周囲を気にすることなく、しっかり見送ってあげたらよかったんじゃないか、とか本当にどこまでも悔いばかりが残る。

 

いつか毛皮を着替えて自分のもとに戻ってきてくれる日がくるだろうか。それとも猫とは違う姿でめぐりあうのだろうか。どんな形であってもモカさんにもう一度会いたいと願い祈る。モカさんはもううちに来るのは嫌かもしれないけど。


彼女がやすらかに眠れるように冥福を祈りたいと思うけど、本当は会いたいと望んでしまうばかりのダメな飼い主だ。
飼い主なんていうけれど、わたしのほうが面倒を見てもらっていたような気もする。

電話やインターフォンの音にはビビるけど好奇心が実は旺盛で、神経質なようで大らかな猫だった。震災後の余震が続いていたときも、彼女はいつも落ち着いていて、どれだけ心強かっただろう。
4年前に父が入院先で亡くなり、2日ぶりに帰宅したときは、モカさんの顔を見た瞬間にホッとして初めて涙が出てきた。ずっと会いたいと思っていたから。

 

ごめんなさいとありがとう、そして、さようならとまたいつか、この言葉ばかりを繰り返して1週間が過ぎていく。


この先どうするのか、次に猫を迎えられるのか微妙な年齢になっているから、モカさんが身をもって教えてくれたことを生かすこと(それが猫への供養や礼にもなるという)はできないかもしれない。

だから余計に悲しいのだと思う。


でも、いつかまたモカさんに会いたい。それぐらい特別な存在の猫だった。


大切なものは大切にしなきゃいけないというシンプルな事実に打ちのめされている。

 

いちげきのいちげきに寄せて 2023年1月3日

どうしてこんなにブッ刺さったのだろう、90分足らずの単発ドラマが。


クドカンのドラマ(舞台も)も町田啓太さんことまっちーも前から好き。

推しのドラマに推しが出るなんて、たとえ推しが出なくても見たくなるドラマに出てくれるなんて最高じゃんか!と第一報の時からワクワクテカテカしてた。

最長でも5分バージョンしかない予告編だって公式Twitterが流してくれたメイキングだって食い入るように見た。
そして放送が終わった今、いやあ面白いドラマだったーまっちーかっこよかったわーだけではなく、胸にちりっとした痛みが残ってしまっている。

放送が終わって1か月以上たっているのにだ。

 

大政奉還後、軍艦奉行勝海舟は江戸を荒らして幕府を挑発する薩摩藩のゲリラ組織「御用盗」を内々で制圧するために、ひそかに農民を集めた隠密部隊をつくる。

勝に命じられ、選抜試験と刀を扱ったことのない彼らの指導をするのは新選組の残党・島田と和田だ。

ここで登場する御用盗も農民ゲリラの「一撃必殺隊」も新選組残党も、みんな「非正規」部隊。指令を出す川の上流にいるのは勝と薩摩藩の上の者だけで、あとの連中はさもしい侍、それよりさらに下流に暮らす農民と、辛酸をなめつくして来た連中ばかりだ。

農民たちの何が悲しいって、搾取されるだけの存在であることだ。

字も読めなければ白米も満足に食えず、侍から理不尽な扱いをされても文句を言うだけで手打ちにされてしまう。どんなに苦しい辛い思いをしてきても、こんな身分制度はいつか壊れないだろうかと夢見ることすら思いつかない。ただただ苦しいだけで人生を終わるといっても過言ではない。それが悪い奴を殺せば侍に取り立てられ、こんな生活とおさらばできるかも?なんて聞いたら、そりゃあ飛びついてしまうだろう。自分が返り討ちに遭うかもしれないなんて一切想像せずに。


まっちー演じる市蔵ことイチも、もともと力自慢だったのか何の疑問も持たず、一撃必殺隊に飛び込んできた。なんなら俺は端から侍だったんだよといわんばかりの態度だ(実際、農民のなかでは見栄えが良くて身体能力が高いキャラ設定だったと思われる。字は読めなかったけど)。
勝が早く一撃必殺隊を実戦に送り出せといって、島田がつくった育成マニュアルのうち防御術部分を黒塗りして省略してしまうシーンはゾっとした。

でもイチは「そうだよな、防御なんて一発で相手を殺せばいらねえべな」と極めて明るく受け止める。
そして初めて人を斬った日の夜は飲んではしゃいだあとに浮かない顔をしていたのに、すぐに今日は何人斬ったと自慢したり、団子を食べたりおにぎり食べながら御用盗だけでなく薩摩の連中も殺っちまおうぜと浮かれるようになる。

 

主人公のウシは、過去のトラウマから侍を深く憎んでいて、自分は利用されているだけなのではないかと初めから疑問を持っている。剣の筋は誰よりもいいけど、このまま人を殺し続けでいいのかという複雑な思いも持っている。

でもイチにはそんな逡巡はない。すぐに「イエーイ!サムラーイ!侍サイコー」状態になっていった。

イチたちが捕まえた浪人を切腹するように煽りたて、彼が本当に腹を切ったときには介錯するのをビビってたけども、ずっとイチは軽かった。

そんな軽さに泣けてきてしまうのだ(「存在の耐えられない軽さ」って題名の映画が昔ありましたね、ふと思い出した)。

 

やがて一撃必殺隊は御用盗の罠にはまって仲間やウシの妹を失い、島田は勝から突然解散を命じられ、なんなら秘密を守るために殺処分しても可であるといわれてしまう。

一方、御用盗の実行隊長・伊牟田も、いつのまにか薩摩藩の上役・相楽総三から暗殺対象にされる。

捨て石にされたことを理解した一撃必殺隊はどうしたらいいのか、もうわからない。

イチですら「侍になれるっつーから人殺してたんだろうが!」と叫ぶ。そして初めて隊員個人の意思と島田の思いが重なり、失った仲間や家族の敵討ちのため薩摩藩に向かっていく。
あえて昼間の往来が多い時間に相楽を襲う奇策をしかけたものの、そこで敵味方かかわらず何人もが命を落とす。

イチも、ウシを助けて呆気なく死ぬ(初見のときはびっくりして声を上げそうになった。油断してた…)。「おらあ死んでも侍だ」との言葉を残しながら。

 

このあっさり、無情にバタバタ人が死んでしまう乾いた情景は、いつかどこかで見たことがあると記憶を辿ってみた。そして気づいた、アメリカンニューシネマの世界だと。「真夜中のカーボーイ」に「俺たちに明日はない」に「独りぼっちの青春」。これらの主人公たちはみんなどん底の世界で出会って一瞬の春に浮かれて周りを挑発し、愚かにも仲間割れをして、最後には手ひどい形で社会から抹殺される。死に様はひとつも美しくなくて、ただただ悲惨に野垂れ死ぬ(蜂の巣にされたりもする)ばかりだ。
お約束のハッピーエンドとは真逆の、いわゆる鬱エンド。遥か昔、これらの映画を観たときは妙に興奮した。どれだけショックを受けたか、表現力がないから、ひどい、こわい、でもすごい!しか言えなかった。自分がいる世界と違うとんでもない世界(でも自分が向かう可能性がないとはいえない世界)を垣間見てしまった気がしたものだ。

 

侍の世は滅びて久しいけれども、心身が弱い者や知識がない者はいらない、勝手に死ね、なんてことを平気で言う人が今もデカい面してる。
でも、強いって一体なんだ?誰かの尊厳を踏みにじっても強い者が勝つというのなら警察はいらんわ、と小学生のようなことを言いたくなる。


なぜか「世界ふれあい街歩きウクライナ編再放送に出ていた街のピザ屋の親父さんや学生たちが、ウクライナ紛争に従軍して死んでいたという後日談を思い出した。

末端の人々だけが武器を取り、殺し合い、犬死にする構造は幕末も今も変わりない。
いちげきで描かれたのは、そんな今の世に通じるやるせなさだった。たとえば勝海舟は勝ち逃げできたが(何が無血開城だよ、おいコラ)下流にいるものは侍の身分であったとしても捨て石されるだけ。もう、どんよりしてしまう。


石は農民、刀は武士の象徴として扱われていたけど、刀だって銃を持ち出されたら、あっさりやられてしまう時代遅れの遺物になった。そのことに気づいていても刀を手放せない島田のような人もいれば、ウシのようにラストシーンではいらないもの(この場合は刀)を捨てて次の生き方を模索する人もいる。ほんの少し希望が残る終わり方だったけど。

 

けれでもイチはそんなことも考える間もなく死んでしまった。それがまた悲しいのだ。本人は侍で終われたと満足して死んだかもしれないけど、こんなに切ない気もちにさせられ、自分の立場(天涯孤独の非正規雇用者!ぜったい強者の側ではない)も痛感してしまったのは、まっちーの芝居とクドカンの脚本がよかったからだろうか。


伊藤沙莉ちゃんが演じたキクという女性キャラは原作には出てこないらしいけど、コメディリリーフしながら昨今のクドカンドラマに出て来るリアルな痛みをかかえた女性(「俺の家の話」では主人公の姉役の江口のりこさんが、能の家元に生まれながら女性ゆえに跡を継ぐこともなく常につまはじきされていたこと、浮気しまくる父親を心の底では許せなかったことなどをブチまけていた)の役割を担っていた。

クドカンは男社会や男同士の友情をドラマによく描いているけど、肯定だけではなく女性の目を通した男社会特有の馬鹿馬鹿しさも指摘してくれるので信用がおける人だ。
キクは口癖のように「私アンタじゃないからわからないけど」を前置きにして話をする。一見、相手のことを突き放しているようだけど、過去を背負いつつも(キクも兄を薩摩藩によって失っていて仇討ちのために一撃必殺隊に参加した)、身分や所属組織ではなく個の存在を認めていると言っているかのようで、ドラマの中で一番自由で独立した存在だったと思う。

 

まっちーの出番が少なくて残念などとのたまってる人もいたし、わたしも正直、最初に見たときはあんまり出てこないなあと思ったのだけど、見直してみたら、イチはこの物語に欠かすことのできないキャラクターだったのではないだろうか。

主人公と正反対の、いわば影に相当する(一見するとイチが陽キャでウシが陰キャだけども)すごく良い役だったんじゃないか。愚かで可愛いくて悲しいイチの役をまっちーにオファーしてくれてありがとうプロデューサーさんと言いたい。

以前、大河ドラマ土方歳三(も農民出身)を演じたものだから、イチにヤング土方歳三みを感じた人もいたようで、その効果を狙ったキャスティングだったのかもしれないけど、良かったよまっちーで。

 

正直、駆け足の展開でもったいない感じもしたし、ウシ以外のキャラもみんなチャーミングで悪役チームすらもみんな背後にドラマを感じられたから、ウシ並みにもっと背景を詳しく描いてほしかった気もする。

が、逆にいえば映画1本分と同じぐらいの尺だから重みが伝わったかもしれない。講談を挟んで気持ちいいほどのスピード感があって、間延びするよりはいいのかも…いや大河ドラマぐらいのロングスパンでやってくれても別にいいんだけどね。


正月時代劇というめでたげな名前のとおり殺陣やお笑い要素ももちろんあったのだけど、それ以上にシビアで深く胸に残ってしまった私だった。なぜ今年はこの題材を選んだのかな、制作陣も今のこの世に申したいことあったのだろうか。


円盤が出たら買いたいと思うしディレクターズカット版劇場公開!なんて期待もします。やっぱり好きだクドカン世界、ずっと好きだまっちーの芝居。


いちげきの一撃にすっかりやられた2023年の幕開きでした。

TEO TORIATTE チェリまほTHE MOVIEを観て揺れた春

か弱き者ほど強く、完璧なものほど弱く
神様どうか、いたいけな二人を傷つけないで

 

これがチェリまほTHE MOVIE初見の際に思ったこと。
安達も黒沢も、なんていたいけなんだ、なんて可愛いんだ!って、まず思ったのだ。
これは私が年をとった(2人の両親役の方々よりは若いけど)せいかもしれない。
もしかしたら、あの2人のビジュアルじゃなかったら思わなかったかもしれない。
でも、まずはそう思ってしまったのだから仕方ない。

 

初見のときは、随分といろんな要素を特に後半に畳みかけてくるなあと思った。
前半のウキウキ期(ドラマの8~9話あたりに近いというかオマージュなのかな。妄想シーンも含めて)からの怒涛のシリアス展開に、目を白黒って感じだった。
安達の栄転をめぐって事件も、ドラマと同様、また相手を思うがゆえの「賢者の贈り物」的なすれ違いだったし。
(でも、さすがに会う時間がないならせめて一度くらい電話して話せ!LINEで終わらせちゃダメ!って思ってしまいましたけどね。
相手に本音をこぼすことも時に必要なんだよ、それが自分の我が儘になってしまっていないか不安なのはわかるけど)

 

2人の恋はスイートだけどデリケート、ちょっとした刺激すら命取りになってしまう。
でも終わらせたくなんてない、木っ端みじんにしたくない。
前(ドラマ11話)みたいに辛い思いするのもさせるのも絶対に嫌だ。
魔法の力に頼りたくなったりもしたけど、今度は黒沢も魔法の存在を知っているから
使えばさらに彼を傷つけてしまうことにもなる。
一体どうしたらいいのか。
自問して時に深く傷つきながらも前に進む安達が眩しいぐらい、たくましかった。
自分には取り柄なんてないと萎縮している人でも、何かひとつのきっかけや出会いで
一気に殻を破って内在している光を照射できるのかもと思った。

 

一方の黒沢さんはもうヒロイン、王子というより自ら囚われにいっている姫君なんじゃ?とすら思った。
安達に一切の負担をおわせたくないあまり、ドラマ同様の自己完結自爆展開をしてしまって。
でもそんな黒沢さんがとても愛らしく見えて。
ダメな黒沢じゃダメですか?(ダメじゃないです)

 

彼は決してスパダリなんかじゃない。
むしろ登場人物の誰よりも弱くて、いろいろ拗らせてしまった男にすら映った。
もちろん優しくてフェアな性格なのだけど、たとえば、あんなに、いちいちいちいち
「ありがとう」を多用していて。
一度でも言い忘れたら安達に嫌われないか不安なの?

安達ってそんな狭量な子じゃないよ?
そう言ってあげたくなるくらいだった。
(本人はまったく無意識なんでしょうけどね)

 

だから2人で支えあおう、弱ってる君も好きだと言ってくれる人に恋して報われて
本当に本当によかったね黒沢さん、としか言いようがなかった。
実はとっても強い人・安達清じゃなかったら
弱いあなたを支えることができなかったかも。

 

映画の中の世界とはいえ、弱い人が壊れてしまう前に救われて私も救われた。
ドラマでは必ず安達より早く起きていて
豪華がすぎる朝食の支度をしていた黒沢さんが
実は朝に弱くて、寝ぼけた顔を晒してもたれかかる。
そんな彼を微笑ましく思いながらも、照れくさそうにあしらう安達。
このシーンは、ああ彼はようやく肩の力を抜けるようになりつつあるんだ
ってほっとしてしまった。


初見のときは小津安二郎映画ですか?って思ったぐらいアップやバストアップを多用
しているように思えたんだけど(気のせい?)そのためなのか、
台詞以上にふたりの表情から思いがあふれているような気がした。
テレビと違って大画面なもんだから、胸にビシビシとガンガンとダイレクトに
思いが伝わってしまうのだ。
どちらかに感情移入というよりも、彼らと共に同じ道を歩いているかのように。
彼らが悲しめば自分も悲しくなるし、彼らが喜べば自分も喜んで

微笑むことを抑えられない。
映画もドラマもテーマの一つは「思いは言葉で伝えるもの・伝えることができるもの」だけど表情をもって言葉(セリフ)をダメ押ししたい、だから
この2人の俳優が選ばれたんだろうか?なんて憶測をしてみたりして。

 

それぐらい、役者の表情(とその抽出技術?)は、神がかっていたと

いっていいと思う。
何なら彼らの表情ありきでストーリーを作ってませんか?なんていいたくなるぐらい。
安達の夢に出てきた凍ったような笑顔の黒沢さんと
朝の身支度をしながら溜め息をつく鏡に映った黒沢さんは忘れられない。
あんな表情を引き出せるなんて。
寂しかったり悲しみを無理に隠そうとしているときの表情が
胸に突き刺さるんだよなあ。

 

安達のほうは決意をして覚醒し、まっすぐに思いを伝えるときの表情が

キラキラしていて。
黒沢母(今はいいけど先が心配って言ったけど、これって仮に男女カップルだったとして皆先のことはわからないし不安あるやん?ってちょっと思ってしまったんだよねえ。男性カップルだから未来が心配という意味だったら、もうちょっとわかりやすく言ってくれてよかったかも)に訥々と思いを伝えるシーンも、静かに熱くてよかった。
月と太陽のようなコンビネーション、これってめったにないだろうと思う。
改めて唯一無二のキャスティングだ。

 

少しだけの出番だったけどベテラン俳優陣もよかった。
ちゃんとチェリまほの世界を壊さない人を選んでくれた(郁恵ちゃん見直したよ)
それだけでも、きれいな男がイチャコラしてる絵を見せたら喜ぶんだろって
安易な気持ちで制作してるわけじゃないってわかる
(いやドラマの時点でとっくに理解してますけどね、初見さんでも理解可能って意味でね)。
スキンシップの表現はドラマと変わらず触れあう手がメインなのだけど、
リアルさがありながら抑制がきいていて常に品がいい。
細長い指でとてもきれいな手なんだけど、骨ばっていたり太い血管部分も見えて、
ちゃんとこれは男性と男性が結んだ手なんだと主張していて。


映画は、「しんどいときは、信頼してる相手にくらい、しんどいと言ってもいいんじゃない?」とか
「優しい世界を実現するには、ここまで強さや覚悟が必要なんだろうか?」
なんて見る者に語りかけていたような気がしている。

 

両親との対面や結末に対しては「そんなうまくいくか?」って言われることもあるかもしれない。
理想論だと笑われるかもしれない。
でも理想論で何が悪い?理想を描くことから全ては始まるでしょ?って
語りかけているかのようだった。
結婚式シーンの温かな祝祭感と、王子様と魔法使いの物語を読み終えて
きりりと手をつないで歩いてゆく安達と黒沢の姿は
この作品になくちゃならないものなのだ、両方とも。
どちらかだけだったら、心に刺さらなかったと断言したい。

 

安達は「俺たちのことが知られても不本意に異動させられたりしないように

仕事をがんばる」「自分たちの大切な人に時間がかかっても自分は幸せだと理解してもらいたい」と言っていたけれど(文字にしてみたら、なんて悲痛な決意なんだろう)
魔法つかいというファンタジーな存在から、シビアな現実社会を生きぬこうとする
30歳男性になったのだなあとしみじみしてしまう。
架空のキャラクターなのに、まるで長年の友人のように
「まだまだ大変だろうけど幸せになってほしい。いやなれるよ、あなたなら」

と応援したくなる。

 

これはチェリまほというドラマの大きな魅力でもある。

フィクションなのに、どこかこの世と地続きな感じがしている。
そしてよく「優しい世界の物語」だといわれるけど(確かに露骨な悪役はあまり出てこない。それでもドラマ7話のセクハラ社長とセクハラを理解できない上司には怖気だつほどの嫌悪感を覚えたけど。回想シーンでの若き黒沢さんの悲痛さよ…あの表情を観るのはつらかった)
けっして優しいだけの世界じゃない。

 

性的マイノリティといわれてしまう存在の彼らが
いわゆるマジョリティに傷つけられることもなければ
マイノリティを殊更にアピールする必要もないような世界に
生きられるようになることを心から祈る。
性的マイノリティではないけど、ふと気づけばマイノリティ寄りの立場
(独身非正規労働者で天涯孤独の身)にいる自分も、
メジャーだマイナーだ気にせずに生きていけたらと願うから余計にかも。

 

ラストシーンといえば、映画「卒業」の最後、結婚式場から花嫁を連れ去って、
バスに乗り込んだダスティン・ホフマンキャサリン・ロスが真顔で
シートに座っているシーンのオマージュかな?などと思ったけど
「卒業」では情熱のままに駆け落ちしているから、痛快だけどもこの先にある
不安(それとも、やっちまった感?)を表していて、
チェリまほは、周囲の人に認められていたから、神様の前で誓いを立てて
この先、何があっても2人で生きていくという

より強い意志と覚悟を表す表情だったのかな。
(と、ここで結婚式は、絵本を見ていた安達の想像世界の出来事だという説が出ていることを知る。だとしたら夢の実現に向けて歩いていこうという決意の表情だったのか?)


いわゆるBLラブコメディを期待して見に来た人はどう思っただろう?とか
硬軟入り混じる各エピソードを、もっとゆっくり連続ドラマで見たかったかもとか
実家に挨拶にいくときの衣装がちょっと不思議じゃないかとか
(黒沢さんはベーシックなスーツ姿が一番素敵だと思うし
安達の両親に会うなら、どフォーマルな格好しそうなんよねえ)
ドラマでは凝っていたタイトルロールやエンドロールが簡素じゃね?
なんてことも思ったりしたけど
2週間しかない撮影期間で2か月もないぐらいの編集作業で
(予算もなかったんだろうなあ。長崎ロケは見たかったなあ)
ここまでまとめた風間監督には拍手を送りたいと思う。
ドラマや原作(読んでないけど)ファンへの感謝も強く感じられたし。

 

終わって思わず拍手をしたくなったけど、誰もやっていなくて残念。
でも隣の席の人が涙ぐんでたり、席を立ちながらよかったねえと語りあう声も

聞こえたから、冷ややかだったり、ぼんやり見ているわけではないんだよなあ。
愛情の表現は人それぞれだって安達も言ってたし、ね。

 

3回目(舞台挨拶中継回だった)を見終わってスクリーンを出るとき、
若い男子2人組が座っていたのを目にした。
映画マニアなのかもしれないし、風間監督の作品が好きとか、
藤崎さん役の佐藤玲さんのファンかもしれないけど、
もしも、もしも、2人が恋人同士だったとしたら。
この映画、率直にどう思いましたか?って聞きたくなった。
よかった、とか違和感なかった、とか希望になったって言ってくれたら。
そしてその声が制作陣にも届いたらいいのだけども。


この映画は、大きなスクリーンで超ド級の美貌と柔らかい声を浴びるというのも
最&高だけど、円盤化して、自宅でじっとり見てみたら、
気づかなかった細かい部分により目がいくようになって
また違う楽しみ方ができるかもしれない。
それから、このシーンはアドリブ?それとも監督の指示?
なんて気になったところもあったから
できれば種明かししてほしい、キャストによるオーディオ・コメンタリーとかで
(欲が深すぎますか?)。


まだまだゆっくりじっくり。
この作品と付き合っていきたいと思う、安達と黒沢が手を取り合って歩いていく限り。

 

おまけ 1
3月に終わった「あせとせっけん」というドラマは、とんでもなく肌色多数なのに
いやらしくなくてクレイジーなベッドシーンが楽しくて斬新だったんだけど、
人並み以上の嗅覚をもつ主人公の名取さんが、
風邪で鼻がつまり、匂いがわからなくなって(匂いで他人の精神状態も理解していたが、それもわからなくなる)
会社がお化け屋敷のように見えておびえたり、人間不信に陥ってたが、
同僚に「普通の人はみんなそうなんだよ。匂いに頼りすぎるな」と言われ、自らを省みるエピソードがあった。
これはドラマで安達が柘植にいわれていた「魔法に頼りすぎるな、だ」と同義かも。
ヒロインが理解者(=名取)を得て、コンプレックスや過去のトラウマから解放されていく姿も黒沢さんとちょっと被る。
最初は引っ込み思案で、安達同様、私なんてってすぐに言うキャラだったので、正しくは安達+黒沢だけど。
なんでもない日常生活に幸せを感じ、楽しむ姿もチェリまほの2人と重なった。

 

おまけ 2
以前は「チェリまほ大好きだけど、赤楚くんとまっちーはニコイチじゃねーぞ。
常にチェリまほと比べられたり、安易なセット販売は可哀想(聞いてるか××テレビ)。
2人ともいろんな役をやってほしい。この作品だけに引きずられないように」と思ってたけど、

役者人生において、これだけの当たり役を演じて、好相性の座組に出会って
ちゃんとした作品を送りだせることって、そうそうないのかもしれないし、
そうなると演じ手にも鑑賞者にとっても絶対大切な作品になるわけだから、
特別扱いされても仕方ないのかも、という気持ちも生まれてきた。
シルバニアファミリーのコーヒーカップ並みに私の器が小さかったかもしれません、

ごめんなさい。
勝手な心配や懸念なんてひっくり返すぐらいの威力があったってことなんです、チェリまほTHEMOVIEには。

そして彼らなら、チェリまほ後も代表作をどんどん更新していけると思っている。

これからも良い作品に恵まれますように。

Osaka Rhapsody(Not by Senri&Mari)

 

1月27日夜、東京に積雪予報が出てしまった。翌朝、JRや新幹線とまるんじゃないかとめちゃくちゃ不安だったけど、結局雪はさして降らず、無事、ライブの当日朝に大阪に出発することができた。

 

博士は、さいたま2日目のライブは最高だった、これまでの生涯のベストプレイの何本かのうちに入る、重くてネガティブな気持ち(怒り?)も晴れたとインスタグラムに綴っていた。

おおう、もし私らオーディエンスの声が少しでも力になったのなら、これ以上のことはないし、そんな日に参加できて、それが自分の初めてのQALライブだったなんて、このうえない僥倖だと思った。

あの衝撃は私の思い込みではなかったのだ。気分がさらにアガったであろう博士の大阪での演奏に期待してしまう。

ちなみに博士は日本滞在中、怒涛の勢いでインスタを更新していた。眠れなかったのか、いろんなところに行っていて書きたいことが毎日見つかったのか。

それもド深夜や早朝に投稿することがあって、ちょっとばかり心配になった(内容はだいたい楽し気だったのでいいのですが)。

更新しなきゃしないで、どうかしたのではないかと気になってしまったけど(苦笑)。

  

日曜の終演後に即プライベートジェットで大阪に移動したらしいQALご一行だが、月曜日のオフに博士が山科の京大花山天文台を訪問していてびっくり。

私(と大阪で一緒に見る友人)がティーンエイジを過ごしたこの京都の片隅に!

博士が!博士が山科に!山科サイコー!山科民でよかった! と生まれて初めて思ったくらい興奮状態になった。

一般公開してくれたら望遠鏡に描いたサインを見にいきたいわ。新幹線の窓から天文台が見えるなんて、元山科民でありながら、今回初めて知りました。

本当にすみません(*_*;

 

友人とは昼に大阪駅で待ち合わせ、丸ビル(大阪の丸ビルは本当に丸いんやで)の地下で、タコ焼きや牛すじのお好のみ焼きなど関西色あふれる昼食をとったあと、早めに会場の京セラドームへ向かった。

グッズ売り場の大行列に並んだけど、思ったよりはサクサクと進んだ。

しかしお目当てのグッズは既に売り切れていて、ツアーパンフレットとマグカップと・・・・・・ロジャーのドラムスティックを買ってしまった。本当はロジャーのTシャツと博士のコインがほしかったのに|д゚)

あれだけ並んだんだし、なにか買わなきゃって思ってしまって判断力がおかしくなったのだろうな。こわい。

ちなみにスティックは玄関に飾っていますが割といい感じです(笑)

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自宅玄関の通称QUEENマンション

 

その間、リハーサルは終わっていたのか音漏れ全くなし。ちぇ。それとも遮音性が高かったのか。

京セラドームそばのイオンモールの入り口の柱はQALカラーのラッピングがされていて、いやがうえにも盛り上がった。さいたま新都心にもあったのかな(コクーンシティにはなかったけども)。町を挙げての歓迎ムードって感じでよいのです。

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フレちゃんも遠征

グッズを購入した後は大阪ガスミュージアムのカフェでお茶しながら、まったり開場を待った。その後、Tさん姉妹と合流して、トイレを借りてQUEENTシャツに着替えさせてもらった。ありがとう大阪ガス

例の王冠のセットのなかには、背中をそらして歌うフレディが混じっていると聞いたので、席についたら、まず双眼鏡でチェック。

確かにフレディがいた。泣けた。アダムのマイクとレスぺとドラムとベースもちゃんとあった(また涙)。

 

ライブはさいたまと同じく約10分遅れでスタートした。
大阪の会場は、さいたまよりも若い客が多かったように見えた。始まる前からノリがよくて、ブラロジャもライブ中うれしそうだった。でも自分の席の近所は、おとなしい人ばかり。若くても一切立たないのは2階席だから? 高所恐怖症ですか?


恒例のMCタイムでは博士が「大阪大好き♡おーきに」と言った。良い発音だった。

ゴールド席ではお誕生日イブだったアダムのために、博士に紹介されたらハピバを歌いましょうという紙がまわっていたそうだが結局歌われなかった。タイミング難しいしね(なお最終日の名古屋ではアンコール待ちの間に歌われてた模様)


博士はオープニングからシャツ(さいたまと同じシルバーぽいラメのシャツ)のボタンが外れていて盛大に腹チラをしていたそうなのだが、私は見逃した。

その間、いったい誰を見てたんだろうか自分は('Д')。


ロジャーは、さいたまのときよりご機嫌が麗しいように感じた。サングラスを外したのも早かった気もする。ロジャーに指さされた(ガッツポーズされた?)エリアからは、やっぱり黄色い声が響いていた。


曲順やセットリストは、さいたまと同じだった。

日本公演では初日だけ曲順が違っていて、あとは変わりなかったようだ。

遠目でよく見えなかったけど、ブライボーグはいつものシルバーの仮面ではなく狐のお面をつけていた。

東京で行ってた豊川稲荷別院か京都の伏見稲荷で買ったんやろか。一体・・・。

いや日本のファンへのサービスだったんですよね? その後の、ニュージーランドやオーストラリアではつけていなかったから(;'∀')


熱くて楽しくて大満足のライブだったが、自分のQALツアーがこれでおしまいだと思うと寂しさを感じえなかった。

さいたまの終幕後は、こんな素晴らしいライブをあと1回見られるんだ!と頬が緩んでしまったが、このときは、どうかまた日本に来てください、またライブやってくださいお願いですと祈るような気持ちになってしまった。

そしてこれからの旅もどうかお元気で、と。いつの日か、また会えますように、と。

でも周りの声は「ありがとう」が多かったと思う。

そうだね、まずはありがとうって伝えたいよね。

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手を取り合ってを歌う博士・・・だと思う

友人と終演後、激混みの地下鉄に乗ってホテルのある梅田まで帰り、光に誘われて迷い込んだお初天神の路地にある小さなカウンターだけのイタリアンで祝杯をあげた。

たらふく飲み食いしたあと店を出て、小雨の中、ひっそり静まったオフィスビルの谷間を通りホテルに戻った。

ホテルのエレベーターでは、同じようにライブ帰りの女性(ステージ上にあって彼らには超近いけど、ほぼ背中しか見えないオペラシートで見ていたそうだ)と一緒になり、本当に良かったですねえと言葉をかわした。

 

部屋に帰っても興奮さめやらず、はしゃいで話して、博士のインスタの更新を待った。

2020年1月28日深夜、こんなふうに過ごしたという人も結構いたかもしれない。
でも私は、こんな時間を過ごすなんて、彼女と出会った中学時代はもちろん、大人になってからだって、さらに歳を重ねた数年前だって想像していなかった。


想像なんて現実に追いつきはしないよ、

生きてるとしんどくても、面白いことがあるもんだよDarling、だからNever boringね。

もしかしたらビルの陰で、フレディがそうウィンクしていたのかもしれない。

ほんとうにOne&onyの夜だった。

 

 

2020/1/26・28 QAL RhapsodyTour セットリスト


ナウ・アイム・ヒア
輝ける7つの海
炎のロックン・ロール
ハマー・トゥ・フォール
キラー・クイーン
ドント・ストップ・ミー・ナウ
愛にすべてを
神々の業
アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー
バイシクル・レース
地獄へ道づれ
アイ・ウォント・イット・オール
手をとりあって
ラヴ・オブ・マイ・ライフ
‘39
ドゥーイング・オール・ライト
愛という名の欲望
アンダー・プレッシャー
ドラゴン・アタック
ボーン・トゥ・ラヴ・ユー
ブレイク・フリー(自由への旅立ち)
リヴ・フォーエヴァ
ギター・ソロ
タイ・ユア・マザー・ダウン
ショウ・マスト・ゴー・オン
RADIO GA GA
ボヘミアン・ラプソディ


ウィ・ウィル・ロック・ユー
伝説のチャンピオン

 

 

 

 

 

 

 

フレディ・マーキュリーとブライアン・メイとロジャー・テイラーとジョン・ディーコンとアダム・ランバートと私 3

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赤を基調にした華麗なるステージ

 

キラッキラのステージから一転して、しっとりとしたテイク・マイ・ブレス・アウェイの冒頭部分が1フレーズ、フレディの声で流れ、それから始まったリブ・フォーエバーは、ブライアンのボーカルがなくて最初から最後までアダムだった。

とにかくすばらしすぎて泣けた。映画のせいで正直聞くのがつらくなってしまう曲なんだけど、アダムの声は死という絶望のその先にある世界(天国?それとも転生への希望?)にまで、伸びていくかのようだった。

彼はどんな曲も違和感なく聞かせてくれるのだけど、特にこういう湿度のある歌い上げ系の曲が合っているような気がする。博士のギターソロも美しくて荘厳だった。

演出の色とりどりのレーザー光線はこれまで見たことないぐらいの量で、京セラドーム2階席から見たときはさらに圧巻だった。これは本当に現実世界の景色なのかしら?と戸惑ったぐらい。まさにIs this a real life? Is it just a fantasy?だった。


そして始まりましたブライアンのギターソロタイム☆彡

フレディに退屈だからお買い物に行きたいといわせ、ロジャーにここまで完全に観客のトイレタイムになっちゃうんなら俺ドラムソロタイムやめるわといわせ、ディーキーにはピーナッツを投げつけられたという伝説のあれが、目の前で繰り広げられているなんて、ある意味感動だ。

でも2020年バージョンのギターソロタイムは視覚的効果がすごくて、博士は隕石に乗って宇宙空間のなか一心にレッドスペシャルを奏でつづけるのだ。

ドボルザークの曲、というより遠き山に日は落ちてのフレーズも奏でていた。

よくわからんけど、とても壮大だ。

ギターと宇宙と。博士の愛するもの全部盛りの欲張りセットですね。

 

ロジャーとアダムはこの間英気を養っていなさい、という最年長者のありがたい心配りかもしれない。でも博士は出ずっぱりなんだよなあ、すごい。ほんとうに。

突っ立って弾いてるわけでもなくステージを動き回るし、コーラスにも参加するし(たまに遅れるのもご愛敬)。ヴィーガンだから動物性たんぱく質とってないのに、よくこんだけ体力あるなと凡人極まりないBBAの自分は思う。

 

続いてハードなタイ・ユア・マザー・ダウン。これもイントロやリフが超かっこいい曲ですわね。

この曲が途中までで終わったかと思ったら、ショウ・マスト・ゴー・オンのイントロが!!うわあああああ!!!

わたしはショウ・マスト・ゴー・オンの歌詞がものすごく好きなんですけど(フレディのことであるとともに、QUEENまたはQALのテーマ曲だと思う。そしてこの世で生きていこうとする人すべてにとってのテーマでもあって)生で聞いたら、本当にもう。

 

フレディの命削って絞りだしたかのような歌は本当にすばらしかったけどアダムも1シンガーとして真摯にこの曲に向かい合い、挑んでいるのが伝わってきて、ブライアンのギターソロもよくって。

この曲に出会えて、生で聞けて本当によかったと思う(もちろんフレディの生歌も聞いてみたかったけれど)震えがきて、目は潤んでしまった。

曲に入りこんじゃってたからちゃんと見えなかったけど、この曲のときは、スクリーンに崩壊した神殿がふたたび構築されていくという映像が流れていたらしい。

あうぅ(溜め息)隅々まで練られているなあ。


ショウ・マスト・ゴー・オンが終わって、そのままRADIO GA GAが始まったとき、私は気持ちの切り替えがすぐにできなかった。

そんな早くできるわけないやろがあああ!って言いたくなるぐらいだった(苦笑)

日本のアーティストだったら少し間をあけるか、いったん暗転入れて、余韻を残しそうなんだけど、本当に畳みかけてくるなあQALは。

でもこの曲だって待っていたんだ。ライブエイドの観客になった気分で両腕をあげて、サビの手拍子に参加する。ああ快感。博士のギターソロも(この曲では意識したことなかったのに)とても良い。

願わくばいつかロジャーがボーカルのバージョンも生で見てみたいです。

ぜひ次回のツアーでは御検討くださいな。

 

コーラス部分から始まったのはボヘミアン・ラプソディ。うおおおお!!!

この曲の伝家の宝刀抜きました感はすごいな、ギターソロの待ってました感も。

しかし博士はなぜこの曲のソロの時に銀色の衣装に着替えて仮面をかぶろうと思ったのだろう( ゚Д゚)

自叙伝によると通称ブライボーグに変身しているつもりで、ちょっとしたサプライズらしいのだけど、なぜこの曲でやるん?と正直思ってしまう。

映画でのマイク・マイヤーズの言葉に反し、車で流して、ガンガン首を振るような曲になったから、さらに盛り上げるつもりでやってるんだろうか。

それとも親や祖父母に連れてこられたお子ちゃまたちを喜ばせるため?


アダムはブラロジャに見初められるきっかけになったテレビ番組でも歌っていたぐらいだから、とても馴染んでいるように聞こえるし、目まぐるしく変わる曲調にも、柔軟に対応していて表情豊か。

でもオペラティック・セクションになって、スクリーンにPVの歌う4人の姿が映し出されたときは・・・なんとも説明しようがない気持ちになった。まわりでも大きな歓声があがっていた。フレディはともかくジョンが写ったのはこの時初めてだったし。

 

4人時代のQUEENを見てなかったくせに、QUEENとはこの4人なんだ、と思い知る。

QUEENとQALは別物、だけどどっちも素晴らしい、と。

 

そう、アダムとフレディを比較するのはアホらしいことなんだ。

フレディのことを永久欠番だって言った人がいたけど、ほんとそれ。

フレディがそうならアダムはドラ1入団の現役スラッガーだ。

レジェンドプレイヤーを仰ぎ見ながら、自分とQALの道を切り拓いていけばいい。

あ、でもこの曲の最後に、ロジャーがドラをたたいてくれなかったのは、ちょっと残念だった。かつて見られたという人がうらやましいです。


本編はこれで終わり、舞台上のQALとサポメンは引き上げていく。

ここまで本当に一気に波に呑まれたかのような感じだった。喉はもうカラカラだ。

 

私はザ・イエローモンキーが好きなのだが、彼らのライブは曲と曲の間、楽器交換のため?の暗転がけっこう多い(最近は少なくなったが)。それで萎えるまではいかないけども、少なからず緊張感や期待感が解かれてしまうのが、ちょっと残念だった。

ところがQALはそれが全くなかった。

博士のレッドスペシャルがすごいのかもしれないけど、ディレクターやら裏方も含めてみんな有能な人たちなんだろなあと感心するし、とにかくノンストップで数々の名曲をたたきこまれる快感はたまらない。

たとえるなら楽しくて仕方ない千本ノックだろうか。

 

アンコールを待つ間、花道にはホログラムのフレディが登場した。

エーオだ、エーオ! またまたライブエイドの観客になったつもりで、私は全力でホログラムのフレディにエーオ!!と答える。

会場にはリアルフレディとエーオのかけあいをやって、フレディったらどんどん難しくするもんだからついていけなかったわー(笑)なんて思い出をもってる人もいっぱいいるんだろうなあ。

そう私の周りの年齢層は非常に高く、ずっと座ったまま見ている人も少なくなかった。

大阪にいたっては若いのも最後まで座ってた。どうしてた、立ち上がって歌いたくならないか?全曲立ちっぱが無理だとしても、沸きあがる血と躍りだす肉を解き放ちたくないのかな?

ホログラムのフレディはFuck youと捨て台詞?を吐いて、私たちに背中を向けて去っていった。それは湿っぽくならなくて、とてもいい締めくくり方だったと思う。

 

入れ替わるように、ステージにはみんなが戻ってきた。

アダムはフレディへのオマージュのように王冠をかぶり、ゴールドのスーツに着がえていた。

聞きなれたバスドラの音が響く。ドンドン、パン。ドンドン、パン。

We will rock youだ! 

この曲はもともと好きじゃなかったけどライブに参加できるというなら話は別だ。

にわか知識の2回手拍子ぱっと開くをしながら全力で歌う。

 

博士はトーキョー2020と書かれた謎Tシャツに赤いサッシュベルト姿になっていた。

あはは。大阪では、カタカナでブライアンと書かれた、ファンからプレゼントされたというTシャツだった。あはは。

(ちなみに、さいたま初日は日本、名古屋の楽日は感謝。泣かさないでよ、もう)

博士は日本だけでなく海外でも、アンコールの時にはけったいな、もといその国独自のモチーフのTシャツを着て出てくるので、おそらくサービス精神の表れなのだろうが、ほんと若い頃とキャラが変わったなあと思うし、フレディがいたら絶対やってなかったんじゃないかって気もする。

もしフレディが見たら目を疑うか茶化しまくるんじゃないだろうか。

でももちろんギターソロはかっこいい(何回目だ、それを言うのは)


続いてWe are the champions !!

なんという大団円感。私はいま、QUEENのライブを見ているのだという満足感で身体が満たされていく。そしてもうすぐライブが終わってしまうだろうことも。

雨が降ろうが風が吹こうがコロナウィルスに恐れおののこうが私たちはチャンピオン。この2曲があればすべてはうまいこと纏まるはずだ! と思ってしまった。


この曲だって大仰やなーって思って好きじゃなかったのに、映画を見て印象ががらりと変わったのだ。

自分たち(QUEEN)がチャンピオンなんじゃない、私達みんながチャンピオンだという歌だったから。

今回生で聞いて、アダムのドラマティックな歌いっぷりとアレンジで、とても好きになってしまった。

スクリーンには金色のでかいカニが映っていた。カニ?ああブライアンの星座が蟹座でカニQUEENのクエストにもありますね。もちろん獅子や乙女も写っていた。


終わってほしくないものほど、終わるのが早い。

曲が終わって、God save the Queenが流れてくると、カーテンコールのように、ステージ前方に出演者全員が集まって、深々とお辞儀をした。

さらにQALの3人が前に出る。

アダムはブラロジャに盛大な拍手をといわんばかりに、笑顔で手のひらを向けていた。

 

ありがとう。この言葉を伝えるのがあのときは一番ふさわしかった。

元気に日本に来てくれてありがとう、

私の前ですばらしい演奏をしてくれてありがとう。

そうとしか言いようがなかった。


彼らが去っていったあと、世界の捧ぐのジャケットに描かれている巨人がスクリーンの中で緞帳をめくり手を振っていた。

客電がついて、場内にはデビッド・ボウイHerosが流れた。なんでこの曲をセレクトしたのかわからないけど良い曲だった。

明るくなったとたんに裏方さんが大勢出てきて、豪華なセットは情け容赦なく、どっかんどっかん解体されていった。

すぐに移動させなきゃならないからだろうけど、いきなりすぎてちょっと寂しい。

 

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すぐに明るくなってしまった

すごいものを見てしまったというのが、ライブが終わって最初に浮かんだ感想だった。
オカルティックな意味ではなく、何十年も前にこの世を去っていったフレディはステージにいたし、ジョンだってツアーに同行している。

確かにそう感じられたステージだった。


過去は消えないけど、未来だってなくならない。

QUEENの曲は現在進行形であってアーカイブにしまいこむ懐メロではない。

ブライアンとロジャーはきっとそう理解している。

このレガシーを永久保存し増補改訂できるのがQALというプロジェクトだと。


そうQALの3人は想像以上に良いコンビネーションだった。

それは年齢やキャリアの差を超えた互いへの絶対の信頼と尊敬ゆえに成り立ったものに違いない。

また3人のサポメンの仕事ぶりも、The縁の下の力持ちといった感じで感動的だった(というかとにかくうまいし)。とても5人編成とは思えないくらいQUEENらしいゴージャスな音に仕上げていた。

 

セットや照明はものすごく豪華ではあるけれど(赤い緞帳だの2階建てのオペラ劇場の客席だのすべてがプロジェクションマッピングだったらしい)映像はあくまでもおまけで(ちゃんと見られなかったのがもったいないくらいの出来だが)極力頼らず、基本的には歌い奏でるだけのシンプルな構成だ。

そういえばQUEEN時代も、舞台装置や照明は派手だけど、管楽器や弦楽器やダンサーやコーラス隊は出さず、自分たちの音楽と身体性で勝負するというある意味ストイックなステージングだったと思われる。


そしてフレディが神々しいまでにオーディエンスを圧倒し支配していくタイプだとしたら、アダムはみんなでQUEENの楽曲を楽しもう!僕も楽しいよ♪という巻き込み型なんじゃないかと思った。

絶対君主に跪き、恐れ戦きながら背筋をのばしてキリキリ行進するのも快感なら、

知らない者同士がわらわらと寄り集まって手をつないで練り歩く祭りの夜も楽しい。

QUEENという国家においては、どっちだって正しいのだ、

音楽と中心に立つ人がとてつもなく優れているんだから。

 

大阪で一緒に見た友人は言っていた。

「フレディがいない寂しさをみんなで分かち合うようなライブになるんじゃないかと覚悟していったんだけど、不在感や欠落感はなく、ただとても楽しい時間を過ごすことができた。QUEENとは違うものだけど、とてもよかった」と。


もしかしたらQALが始動した当時はそんな感じだったのかもしれない、ウェンブリーでのフレディ・マーキュリー・トリビュートライブのように。

でも8年以上もアダムと一緒にやって、QUEENにQALという新たな章(スピンオフだろうか?)が綴られていき、フレディの幻影を追う時代にはピリオドまたはカンマが打たれたのかもしれない。


これはひとえに、ブライアンとロジャーとアダム(&サポートメンバーズも)の努力と、QUEENの音楽を滅ぼすまい過去のものにするまいという執念にも似た使命感によるものだと思う。

でもみんな楽しそうなんだ。

多分それも、すぐれた音楽のもつマジック的なところなのだろう。たとえ肩に力が入っていたとしても、音楽が自然にほぐしてくれるのだ。

演者の心もオーディエンスの心も。

 

人間だれしも年をとる。年をとったら見た目は悪くなるし記憶力や判断力だって衰えてくる。それはみんな避けることができないものだと思うし、いきすぎたアンチエイジングは若いが一番原理主義にとらわれた人みたいで私は好きではない。

逃げ恥の登場人物のゆりちゃんがいうところの、年齢という呪いに囚われた人にはなりたくはないと思う(といっても白髪染めぐらいはしてるのだが自分も)


だから年を取るのも悪くないよって言って体現している人は大好きだ。

フレディが「年を取ったQUEENも悪くないだろ」って言っていたけど、その通りだよと伝えたい。
ロジャーはどこの美少女かと見まごうばかりの美形やんちゃ系アイドルから、中年期のカッコいいドラマー期を経て、今は彫り物だらけの恰幅のいいパワフルおじいさんだ。ブロンドの髪も若干薄くなっている。

ブライアンはザンドラ・ローズ御大のミューズですか?とばかりにひらひら衣装が超似合う吹けば飛ぶよな線の細さで、蚊の泣くような声で歌っていたというのに、今はけったいなTシャツに身を包んでイラッシャイマセエエエエエと叫ぶわニコニコしながらギター弾きまくるわ腹が出て(でもなぜか足は細い)髪は真っ白になり、コーラスマイクに戻るのに間に合わなかったり、特効のスモークが出る場所に立ったままでいて、危ないでとアダムから引っ張り出されたりしている。


でも2人はかっこよかった、圧倒的に。

映像で見ていた昔の彼らも肉眼で見た老いた彼らもかわりなく素敵だった。

ライブ前、私はブライアンとロジャーのことを冗談半分で、おじいちゃんたちと言っていたけど、ライブを見てしまったら、もうそんなふうに言えないと思った。

私たちが応援するなんてとんでもない、むしろ、彼らからエネルギーをもらってばかりだったんだから。


オリジナルメンバーのQUEENを体験することはできなかったけど、QALには間に合ってよかったと心から思った。きっとアリーナの最前列なんかで見てたら死んでた(社会的に)または廃人化してさいたま新都心にて即身仏になってたに違いない。

 

そして今の思いといえば、まだまだQALのライブが見たいの一言に尽きる。

これはロスなんですかね、よく言う何とかロスだってアホちゃうかっ?と思ってたし、実感したこともなかったんだけど。いや飢餓状態なんでしょうか。

彼らが日本を去ってからもずっとずっとライブ配信を聞いているんですが・・・(時差があまりなくてちょうどよかったのですオセアニアは)耳から入る刺激っていいですね、映像以上に記憶を補完し感情を揺り動かしてくれる気がする。


そういえば生まれて初めての撮影(動画でも)OKライブだったのだが、残念ながら、自分のスマホではどんなに頑張っても大した絵が撮れないことがわかってたので、最初から投げていた。

はじめてのQALなんだから我がの網膜に焼き付けたいですしね。

とはいえ記念に数枚撮ってはみたんだけど、コレ記録にもならんやんか・・・程度のものだった、やっぱり。いちおうズーム機能のあるコンパクトデジカメでも撮ってみたが、だめだった。

いっそTwitterでちょいバズってたQAL写真へたくそ選手権に応募すりゃよかったわ。

 

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フレディと博士、これでも(笑)

 

できることなら、QUEEN物語「QAL編」をまだまだ続けて、新たなフェイズまで行きついてほしい。さらにグレードアップしたツアーをやるとかQALの完全オリジナル曲を制作するとかでもいい。

私はそれを見届けたいし、フレディもジョンも私たちといっしょにツアーに参加し続けるはずだ。

ジョンはふんわり笑顔で、フレディはアダムのことを、ちょっぴりジェラシーを感じながらも頼もしく見つめるだろう。

楽し気にプレイするブライアンとロジャーには、笑顔でFuck youと指さしながら。


ショウは続く。QALを追う私の旅もまだ終わらない(といいな)。

フレディ・マーキュリーとブライアン・メイとロジャー・テイラーとジョン・ディーコンとアダム・ランバートと私 2

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フレちゃんと開演を待つ


開演時間の17時が過ぎ、なにかのメロディが会場に流れているのに気づく。

後でわかるのだけどメイド・イン・ヘブンのボーナストラックにあるTrack13だった!

そしてイニュエンドゥのイントロがオーケストラバージョンで! おおおおマジか。

 

客電が落ち、ステージ上の赤い王冠がのぼっていったと思ったら、激しいギターリフとともにブライアン・メイがステージ上部に登場! Now Ⅰ`m here!!

続いてアダム・ランバートのシルエットがフラッシュライトのなか映しだされ(これは初来日時のツアー演出のオマージュも含んでいたのかしら)ライブが始まった。

うおおおお、あの音だ、双眼鏡でブライアンの手元をチェックする。

ブライアン・メイがレッドスペシャルをかき鳴らしている。髪は真っ白になり体形はずいぶん変わってしまったけれども、あの音は、あのギターはまぎれもなくブライアン・メイだ。

ロジャーはサングラスをかけているけれども、時折、スティックを回している。ああ、これは本物のロジャー・テイラーだ!!


さらに輝ける7つの海をサビまで、続いてキープ・ユアセルフ・アライブ、ハンマー・トゥ・フォール(ここでボラプ映画の影響でライブエイドの観客の気持ちになる。QUEENのおかげで目標の寄付金額に届いたぜボブ・ゲルドフとばかりに)キラー・クイーンまで、メドレー形式でノンストップでたたみかけてくる。

 

なんじゃ、こりゃ!最初からトップスピードなの!?

なんというスピード感、ドライブ感。

すべての音がスパンコールのようにキラキラときらめいている感じ。

アダムの声はどこまでも伸びやかで動きはかわいく(シルクハットかぶったり、キラー・クイーンではピアノにもたれて真っ赤な扇をふったり小道具も活用)気持ちがいいったらない。すでにアドレナリンドバー状態だ。

そんななか、ふとブライアンとロジャーはこの辺の時期の曲だと、もう1000回ぐらいは演奏しているんだろうか、身体の一部みたいなものになっているかしらと思った。

 

アダムは最初のMCで「ロックレジェンドのブライアン・メイロジャー・テイラーに拍手を。みんなフレディ・マーキュリーは好き?僕も好きだよ。だから今夜は彼を祝福しよう!」という趣旨のことを、ゆっくり聞き取りやすく言った。

ああなんて、なんてよくできた子なんでしょうアダム。これ以上ない爽やかなMCだ。それでいて小賢しい感じもない。

QUEENのボーカルという重責を担うにあたって、プレッシャーや批判もあったろうけど、アダムはケチのつけようがない歌唱力とフレディとはまた違った個性的なビジュアルとアクション(なんかいろいろ小芝居しててかわいいし面白いのだ)

そして自分はプロの歌手ではあるけどファンの代表でもありますというスタンスをもって、乗り越えていったのだろうなあ。


私は勝手に、ソロシンガーにありがちな俺うまいだろうアピする押しつけがましいような歌い方をする人なんじゃないかと思ってたよ。

ちゃんと自我もギラつき成分もあるのに、真っ直ぐでまったく嫌味がないんだよね。

ほんとごめんねアダム・ランバートさん(ここでさん付けになる)。

あとアメリカっぽい大味さ(偏見)がないのもレジェンド2人に見初められた理由なんじゃないかなと予想する。繊細な表現もちゃんとできる陽キャシンガーって理想的なのではないかなあ。


フレディに比べるとアダムは声質が軽いなんて意見もあるみたいだけど、あまりに軽々と高音部分を出すものだからそう感じられるんじゃないかと思う。

高音部だろうと低音部だろうと苦しげな感じがまったくないのだ。

あとはもしかしたら声も外見も年齢以上に若いから(38歳なので結構な年なんだけど)より明るく軽やかに感じられるのかもしれない。

だとしたら今後キャリアと年齢を重ねたら、どんなシンガーになっていくのだろう。

楽しみであるが、願わくば伸びやかでキュートな雰囲気はそのままでいてほしい。

ロックレジェンズ2人から、神からの贈り物と称えるだけあるよ、君!

 

MCが終わって始まったのはドント・ストップ・ミー・ナウ、みんな合唱を始める(僭越ながらわたくしも)。

ステージはオペラ劇場のような赤と金を基調にした造りで、後方中央のスクリーンには車のフロントガラスから見たハイウェイのような疾走感のある映像が流れだした。原曲よりスピードは少し抑えめだったけど。

映画のエンドロールを思い出して、ほんのり切なくなったのも忘れられない。こんなにポップで楽しいメロディにイケイケな歌詞(というよりフレディの放埓な私生活そのまますぎて博士は当初好きじゃなかったとか)だというのに。


続いてサムバディ・トゥ・ラブ。これもボラプの影響でSomebody♪とコーラス部分を歌う人多数だったが(わたくしも)さらなるシンガロングをアダムは煽る。

ロジャーの力強いコーラスとバスドラ音が聞こえてとても良いし、ギターソロにもドキドキする。


神々の業は初めて聞いた曲のように新鮮に味わった。ちょっぴりアンニュイだけど美しくて力強い、なんていい曲なんじゃろうと思いながら、おーおーらららーと一緒に歌った。

背景の映像は崩れゆく神殿だったらしい(ちゃんと見てなかったので、なんか崩れてるわくらいの印象だったが、なんで破壊映像なんだろうと思ったことは覚えている)

よく考えたら、ここまでメジャーコードの曲ばっかりですわね。ここで流れが変わりますよって暗示していたのか。


続いてロジャーのボーカルで車の歌!!! うはあ、なんてかっこいい。なんて力強い歌声! あまりに力強すぎて正直ビビった。

いい声だよなあロジャーはハスキーで(ロッド・スチュワートの声にちょっと似てると思う)それでいてドラムだってたたきながら歌ってるんだよ?

私はどうしてボラプのなかで皆がこの曲をディスっているのかわからない。

そもそも博士はあんだけディスっていながら、めちゃくちゃイカしたリフを奏でているじゃないか。映画と現実を混同しているだけなんでしょうか。ほんとはみんな車の歌、大好き!なのよね?('Д')


バイシクルレースでは花道先にいつの間にか出てきたデカいハーレーダビッドソンにまたがったアダムが登場。衣装はいつのまにかトゲトゲ付きの黒い革ジャン革パンツだ。

大阪ではバイシクルちゃうやんバイクやんといっぱい突っ込まれていたようだが、さいたまでは何も聞こえなかったです。残念。

バイクがステージ上で回転しアダムはその上で寝そべったりながら歌う。

ロックショーというよりレビューかバーレスクの世界みたいだった。ロジャーがアダムはディーバだって言ってたの、こういうとこも言ってるのかしら?なんて思った。

フレディもこんな演出やれるもんならやりたかったかなあ。


一転して、地獄へ道づれ。うひょーカッケー! ダンサブルでベースリフが耳に残る曲だけど、生で聞いたらギターのカッティング?もかなりいいのです。
そうライブ見て初めて分かった未熟者だけど、ギターソロがあまり目立たない曲でも、ブライアンはカッティングもリフも超絶かっこよくて良い音を出していたのだ。

そして演奏中の表情がとっても豊か。初期の俯き加減で粛々と弾いている感は全くなくなり、曲の世界を全身で表現している感じだ。

それはロジャーもそうなのかもしれない。


I want it allでは、イントロのアカペラ前に、アダムの声とブライアンのギターの音で、ユニゾンしていた。これがまた妖しくって艶々で。

ギターソロでは待ってました!早弾きがんばれ!いえーい!72歳であんだけ弾けるってすごくない?すごくない?と誰かに聞きたくなった。

博士とアダムの歌との掛け合い部分もよかったなあ。
ショウ・マスト・ゴー・オンはもちろん、I want it allもボーン・トゥ・ラブ・ユーもフレディはステージで歌うことがなかった。アダムを得たことによって板に乗せることができて、ブライアンとロジャーは喜びを感じているだろうか。

あるいは、フレディとも演りたかったなあなんて、今でも思ってしまうことがあるだろうか。なんてちょっとおセンチですかね。


この曲のあと、ブライアンが1人、アコギをもってセンターステージにやってきた。

声援が飛ぶ中、彼はイラッシャイマセエエエエエ!!と叫んだ。あはは。そんな声はって喋る方だと思わなかったですよ博士。このあと疲れるからいいですよと無駄な心配をしてしまった。


B:こんばんわートーキョー (客:こんばんわー さいたまやけどな、って突っ込む無粋なやつはいませんw)

B:お元気ですかー (客:元気でーす!)

B:ほんとぉ? (客:笑)

と中1の英語の教科書構文か何か?なコール&レスポンスもほのぼのしていて楽しい。

 

そういえばフレディはブダペストでの公演のとき、ハンガリーの民謡をカンペ見ながら披露していたっけ。

いろんな国にツアーで行って、その土地の言葉や歌で観客を喜ばせるというのはQUEENのかわらぬ基本方針なのかもしれない。


博士は、日本にまた帰ってこられてうれしい、これはみんなのための曲だよと言って、手をとりあってを歌い始めた。スマホのライトをつけて掲げながら日本語部分を大合唱する(博士は日本語パートに入る前にニッポンゴ!と言ってくれた)。

白いライトでいっぱいになったアリーナ席がとてもきれいだった。

博士の声は少しかすれていた。歌ったのは1番だけだったけど、かつてのように、ピアノから立ち上がってレスペを弾きだす姿も見てみたかったなあ、などと叶わぬ夢を見てしまう。


続いてラブ・オブ・マイ・ライフ。Rock in RIOの民並みに全員で歌いたかったけど、ボリューム的にはどうだったかなあ。

途中からディズニー柄のかわいいタンクトップ姿で歌うフレディが映し出された。

泣ける。寂しい。

曲が終わって博士がハイタッチするかのように手をのばしたがフレディは去っていく。

どうしてこんな演出するのおおおお(涙)

わたしの乏しい英語力では聞き取れなかったんだけど、フレディがここにいるつもりで歌ってねと博士は言っていたらしい。

うん、いたねフレディ。ずっといてほしかったよ(また涙)

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王冠のなかもフレディがいたのでした



続いて宇宙に行った人の歌、聞きたい?と始めたのが39。

日本では手をとりあってをやる分カットされるなんて噂もあったけど、無事にやってくれた。そら日本限定ベストにも入っていたんだし、やらなきゃ暴動おきますわ。

こちらもサビでシンガロングだ。

フレディが歌うとものすごく明度があがって色彩もビビッドな感じに仕上がるんだけどブライアンはふんわりと優しく、失われた時間への思いを歌う。

でも後味は悪くないんだ。諸行無常の響きはあっても、悲しみだけが残るわけじゃないというか。

実際最後の歌詞を、そして今も僕はここでロックしていると歌っていたし(多分そういう意味だと思います)

 

いつのまにかロジャーも後方でコーラスに参加していた。
39を歌い終えると、博士は、みなさーんロジャー・テイラーさんですと紹介し、ロジャーがセンターステージに登場した。

ここでサングラスをとってハイと挨拶したらば、Σ(゚∀゚ノ)ノキャーの声が(笑)

いつのまにかドラムもセンターステージにセットされていてびっくり。

 

とても古い歌ですと言って、ブラロジャ2人でのDoing allrightが始まった。

そうだよね、これはsmile時代に作られて、QUEENの原点になったといえる曲なんだよね(映画の影響かもしれないけど)。

曲の途中からはアダムも参加。美しいファルセット?(地声かも?)で歌う。

歌が終わると博士はアダム・ランバードさんでーすと伝え、アダムにMCをバトンタッチする。


クレイジーになるかい?とキュートに愛という名の欲望を歌いだすアダムは、黄色地に黒が混じった草間彌生リスペクト?って感じのスーツに衣装をチェンジしていた。

レディフレディ!の掛け声のタイミングに迷いつつ何とか叫ぶ。

アウトロのギターもスパイク・エドニーさんのピアノも超かっこいい。


ロジャーのドラムソロ(それほど長くはなかった)のあと、おなじみのベースのフレーズで始まったのが、アンダープレッシャー。

もちろんロジャーとアダムのデュエットだ。

うーん、ほんと良い声。はっきり言って原曲のボウイのメインボーカルより好きだ。

もしこの先ロジャーが1ステージずっとはドラム叩けない身体になっても、歌うだけでいいから続けてほしいとつくづく思ってしまう。お願いしますマジで。


続いてサポートメンバーの紹介。担当楽器と名前のあとにFrom England, Manchester、などと出身地をつける博士に萌える。

QUEEN時代から一緒にやっていたスパイクさんはじめ、紹介されたサポメンがワンフレーズずつ弾いてみせるんだけど、それが超絶うまくって楽器に詳しくない自分でもすごい人たちがサポートしてるんだなあって思う(スパイクさんは、名古屋ではデス・オン・トゥーレッグスのイントロを弾いてたけど聞きたかったなあ)

 

ミュージシャンだけでなくライティングや舞台セット、音響などのスタッフも超一流どころなんだろう。超絶ハイグレードなディズニーワールドのように、オーディエンスをひと時の夢の世界に連れていってくれるキャストたちなんだ、みんな。

 

メンバー紹介後のドラゴン・アタックは予想だにしてなかった曲。アダムが好きな曲だと何かで見た気がするのだけど、かっこよくてファンキーなちょっと異色曲だ。

ギターもかっけえ(ブライアンの作曲だったのね。ちょい意外)。

 

続いて日本では大人気だけど、他国ではやらないといわれているボーン・トゥ・ラブ・ユー。はっきりいって、そこまで好きな曲じゃないのだけどアダムの声にはとても合っていて、楽しく聞けた。日本国内でしか聞けない!ってスペシャル感もあったし(その分ファットボトムド・ガールズが削られてるわけではあるのですが)

博士のギターソロも華やかでとても良き。フレディソロバージョンの軽い軽いシンセ音にくらべレッドスペシャルのギンギンのギターソロは装飾過多ともいわれているけど、あれはブライアンからフレディへの手向けの花なんだという説もあって、その解釈は、ちょっと好きです。

白い百合じゃなくて、大輪のピンクの薔薇や香り高い胡蝶蘭をフレディに捧げたのね、博士は。


ブレイクフリーではみんなで女装( ^ω^)・・・なんてことはなく普通に歌い演奏したのだけど、ギターソロの時に天井のミラーボールが回って、会場を明るく照らしていた。いい意味で軽薄かつキュートな感じがこの曲にはとても合っていたと思う。

 

フレディ・マーキュリーとブライアン・メイとロジャー・テイラーとジョン・ディーコンとアダム・ランバートと私 1

1本の映画があなたの人生を変える。

そんなことってある?大げさじゃない? そう思っていた2018年11月の自分。いや、あったわと2020年2月現在の自分は深く深く頷く。あったんです、それも第六天魔王こと織田信長さんが人間五十年と謡い舞ったその歳を超え、さらにしばらくたってから。こんなことになるなんて、誰が想像しただろう。

 

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始まりはこの映画だった

2018年12月1日映画の日、口コミ人気でリピーターが続出(友人も繰り返し見ていた)しかも猫がぎょーさん出てきて超かわいいとの些か不純な動機から見に行った映画「BohemianRhapsody」は、Queenフレディ・マーキュリーを主人公にした作品だ。世代的にファンになっていてもおかしくなかったはずの私は、はずかしながらこの映画で初めてQueenの音楽の奥深さとクオリティの高さを知った。

 

もちろんQueenというバンドがいるということは知ってたし、有名曲は知っていたし、MTV&ベストヒットUSA世代ゆえPVの記憶もあるのだけど、フレディは歌はうまいが色物のおじさんに見えていたし(ごめんなさい、あんなナイーブな方だったのね)他のメンバーにいたっては、まったくもって知らなかった。

たぶんベスト盤のCDを一度聞いたことはあったけどあまりピンとこなかった。うむ、ちょっと異常あるいは無能だったのかもしれない耳または頭が。

それともビジュアルから入らなかったのが、いかんかったのだろうか。

 

映画もとってもよくて、見ている途中から、これはもっかい見にこようと決めてしまった。曲が映像と見事にシンクロしていてよかったし、ライブシーンは迫力あったし、知っている曲(WWRYとかWATCとかボラプとかGAGAとか)も物語の流れのなかで聞いたら全く違う意味をもっているように聞こえてきた。

圧倒的なカタルシスを得られる音楽映画であると同時に、切ない青春映画感もバキバキ。要所要所で登場する猫のみなさんは噂通り超絶かわいいし、70年代ファッションは男女ともにキュートでBIBAに買い物に行きたくなる。

と、私のハートを鷲づかみ要素が山盛りなうえ俳優陣も老若男女問わずみんなチャーミングだった。

でもエンドロールで出てくる本物のQueenの姿ったら、ウッソなんてかっこいいのおおお!!!??と叫ばざるをえなかった。


レイトショーで映画を見た翌日の朝、とりあえず映画のサントラ盤を配信で購入した。音だけでも酔いしれた。そして映画では使われていたのにサントラに入っていなかった「輝ける7つの海」(このレコーディングシーンがまた楽しくって大好きですねん)が入っているベスト盤のジュエルズ2を買った。その後、他のベスト盤なども含め、繰り返し聞いていたら、オリジナルアルバムを聞きたくなって、輸入盤ではあるけれども、ちょっとずつ揃えていった。
ライブ映像も見た。AbemaではしょっちゅうPV特集をやっていたし、ブダペストライブ@マジックツアーも流してくれた。

ウェンブリーもモントリオールも人に借りて見た。GYAOでレインボーシアターも見た( ^ω^)

・・・つまり映画に飽き足りずQUEENの映像を結構見たんである。

初期も後期もみんな激イケだった。正しくは初期は美しくてかわいくて、後期はたくましくてかっこよかった(目はハート)ドキュメント映画をやるといえば見にいったし、本や雑誌の特集も読んだ。

一方で現在進行形であるQueen+AdamLambartの方の映像はあまり見ていなかった。

アカデミー賞授賞式のオープニングアクトとNYでのチャリティライブ(GlobalCitizens)のときの映像ぐらいだろうか、YouTubeで見たのは。

感想は、フレディには及ばないが思ったよりええんちゃうか?だった。偉そうだな。


その間、映画は月1ペースで見に行った。都内なら、まだまだ映画館で見ることができたのだ。

DolbyAtomsやIMAX、SCREEN‐Xに4DX、いろんな規格で楽しんだ(こんなにいろんな規格があるなんて、この映画を見るまで知らなかったわけだが (;^_^A)。

新装開店の映画館や昔ながらの二番館に行き、はじめての応援上映にも参加した。

その間に父が倒れ、亡くなる2日前にも、さいたま新都心のDolbycinemaまで見に行っていた。1日でもずれたら行けなかったはずだ。

父とフレディが行かせてくれたんだと今でも思っている。

 

そのさいたまに本物のQueen+AdamLambartがやってきた。

2019年4月に来日が発表されてからというもののチケット争奪戦に翻弄されまくった。くじ運には見放され突き飛ばされ、早いもの勝ちのときにはタッチの差で敗れ、最後のリセールでEMTGのプレミア会員になる課金をして、ようやく1月26日S席のチケットを当てることができた。

ここまでして行く必要はあるのか、大阪公演なら取れているんだし(友だちが当ててくれたやつです。ちなみに自分は外れた)しかもオリジナルメンバーじゃないのに、等と思わなくもなかったが、自分の住む街の近くに彼らがやってくるというのに見られないなんて、吉井和哉の詩じゃないけど、それじゃ悲しいだろう、やるせないだろうだ。

それにオリジナルメンバーの1/2だとしても曲の輝きは色あせないはずだ。

 

最悪、しょーむない省エネライブをやられたとしても、おじいちゃんたちなんだから、しゃーないといえるし、たとえそうなっても、リアル・ブライアンとロジャーが奏でる音を生で聞けるものなら聞きたいと思ったのだ。

御年72歳と70歳、さらに年配のRollingStonesやポール・マッカートニーはまだ現役だけども、彼らがいつライブはもうやらない、世界Tourなんてやらないよと言い出したっておかしくはない。

自分だって若くないから次があっても行けるかどうかわからないんだし。

 

というわけでライブ当日を迎えた。

それまでにもTourグッズを買いに先行販売初日のタワレコに走ったり、ご一行がソウル公演を終えた翌日に来日し、銀座だの六本木だの都内に出没したと聞けば、わけもなく興奮した。

ツアーが始まったら混むだろうと思って日本橋高島屋QUEEN展にも行ったが、日曜日の夕方だったのに入るのに20分程度並んだ。

とにかくどうかライブ当日まで何も起こらないように(何もとは、天災、ご一行と自分の体調不良、会場の爆破予告、コロナウィルスの蔓延、スマホの故障、そして個人的な弔事などを含む)半泣きで神頼みするという異常な日々だった。

 

地に足がついていないを通り越し、浮き足立っているを通り越し、私の脚なんてどこかに消えた。脈だって常に速くなっていた気がする。 

でも仕事だけはやった。大阪行きの2日間、大手を振って休むためだ。

予習復習もしっかりと。学生時代の自分にまったく縁のなかった言葉であるが、気合を入れて曲を聴きまくったのである。おかげで携帯音楽プレイヤーがこわれた。

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グッズ売り場は何時間も並ぶという噂だし(タワレコだって初日はえらい騒ぎだった)平日開催の大阪で買えばいいからってことで、同行したTさん(彼女もまた映画からQUEENにズッぱまりしてしまった方である)と3時にさいたま新都心に集合。

隣接するコクーンシティで昼食を食べたあと、ボラプを見た映画館でトイレを借りて、さいたまスーパーアリーナへと向かった。

日曜日だからライブの開始時間が早めの5時ということで、会場付近は、すでにごったがえしている。コスプレさんたちも会場前で絶賛記念撮影中だ。

 

なお、この日は当日券も出たらしい。チケ取りに翻弄された日々は一体・・・(しかもかなり良い席が出たってどういうことなのよぉ(# ゚Д゚))
さいたまスーパーアリーナの入り口は狭く、手荷物と金属探知機によるボディチェックはあったものの身分証明書確認はまったくなしで拍子ぬけ。すぐに座席へと向かった。

 

自分たちの席はスタンドの2階。おお見やすいぞ。ステージには王冠のようなセットがすでにセットされている。

ネット上では、初日はシンガロングの声が小さかったと書かれていたので、自分たちに振られたら全力で歌おう、ブライアンにいわれたらスマホライトもつけよう、サイリウムだって振ろう、できることは全部やって極東の地まで来てくれた彼らを迎えよう、と、これまでにない当事者意識(自分がステージに立つわけじゃないのに)をもって、開演を待った。